莫大な先行投資

洋書を読めるようになるには、莫大な先行投資が必要です。投資するのは、時間とお金と努力です。

少なくとも従来の学校教育に関する限り、学校教育の英語教育で洋書が読めるようになることは基本的にありません(もしかしたら現在では教育方法が改善されている可能性もありますが、それでも基本の部分は変わっていないと思います)。これは、全く誤った方法に基づいて学校教育が行われているためです。

すなわち、従来学校教育において重視されてきたのは、いわゆる「訳読」です。これは、概ね以下のような思考の順序を辿ります。

1)原文にある外国語の単語を逐語的に一つ一つ日本語の単語に置き換える。
2)このとき、文法に注意して日本語の文章としておかしくない順序に入れ替えることに注意する。
3)最終的にできあがった訳文を読んで、内容を理解する。

ところが、洋書を読む場合にはまったく別の思考法が必要になります。

1)外国語の単語を外国語の単語としてそのまま理解する。このとき訳してはいけない。
2)外国語の単語が出てくるそのままの順序で、そのまま理解する。
3)要するに、外国語の文章を外国語の文章として、そのまま理解する。

この思考法を習得するには、学校教育とはまったく別の訓練が必要になります。

まずは会話力を鍛えて、外国語の文章を外国語の文章として理解する能力と感覚を発達させる必要があります。このためには、外国語学校に通うとか(ネイティヴが日本語をまったく使わずに教えてくれるところでないと意味がありません)、留学するとかしなければなりませんので、この段階で、かなりの時間とお金が必要になります。私の場合、お給料のかなりの部分を語学学校につぎ込みましたし、仕事と睡眠以外の時間のほとんどは語学学校とその予習復習に費やしました。

それから、外国語の思考様式を身につけるということは、要するに、まったく新たな思考様式を身につけるということですので、かなりの自主的な努力が必要になります。例えば、日常的にものを考えるときでも、日本語を使わず外国語で考えてみるなど、かなりストイックな努力が必要になります。

そして、ある程度この能力と感覚が養われてきたところで、初めて洋書に挑みます。そうしないと、学校教育で身についてしまった「訳読」の悪癖がぶり返してしまうからです。もっとも、上記の能力と感覚がついていても、すぐに読解力がついてくることはありません。これは、文章に使われる語彙が会話で使われる語彙よりも遥かに豊かであり、また、扱っている内容も会話よりも複雑なことが多いという事情によります(ですから、なるべく簡単な本から始めて、徐々に高級な本へと順番に読んで力をつけていくのがよいと思います)。したがって、外国語の文章を外国語の文章として捉えられるようになるには、かなりの努力が必要となります。また、この段階にはお金はそれほどかからないと思いますが、時間についてはかなりつぎ込む必要があります。

ちなみに、この思考法を身につける場合には、人によっては英語以外の言語でやったほうがラクかもしれません。英語だと、どうしても学校教育の悪癖が染み付いていて、それと格闘しなければならないからです。もちろん、語彙や文法を新たに覚えるという追加的な努力は必要ですが、それを差し引いてもそちらのほうがラクなのではないかと個人的には思います(ちなみに私の場合はドイツ語でした)。

なお、ヨーロッパ言語の場合、思考様式は基本的に似ているので、最初の一つの言語をクリアすれば、あとの言語を習得する際には最初の言語のような苦労は必要ありません。ですから、最初の一つの言語でこの思考様式を習得できるかどうかが、たいへん重要なのです。

いずれにせよ、以上のような思考様式で洋書を読めるようになるには、莫大な時間とお金と努力が必要になります。私の場合、語学学校と留学を全部合わせると、時間にして数年、金額にして数百万円を洋書を読めるようになるために投資しましたし、つぎ込んだ努力も並大抵のものではありません。留学するために最初の仕事を辞める必要もありました。

ですから、これだけの莫大な投資をする覚悟があるのかどうかを、まずは自らに問うていただきたいのです。洋書を読めるようになることのメリットと、この莫大な投資を秤にかけて、メリットのほうが上回った場合にのみ、そういう決断をして欲しいのです。

私の場合、独身でしたので仕事を辞めて留学するとかいったことも比較的簡単に決断できましたが、家族がいるとまたいろいろと複雑な事情が絡んでくると思います。そういうことも含めて一切合財を考慮に入れて、本当にメリットのほうが上回るのかを総合的に判断した上で、「洋書読み」になるかどうかの最終的な決断を行って欲しいのです。

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